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グアム島で太平洋戦争の戦跡を辿りました

本日は物件のお話しでなく申し訳ないです。

8月の私の夏休みの事を少しお話しさせて頂きます。

今回家族で5日間グアム島に行ってきました。

4回目になるのですが以前はほとんどが海やショッピングが目的でしたが、今回は「ヒストリカルツアー」というオプショナルツアーを申込み2日目に約7時間かけて太平洋戦争の戦跡を辿りました。
グアム島は日本とアメリカが激しい戦闘を展開した激戦地として歴史に刻まれています。

グアム奪還に向けアメリカ軍は18,000もの爆弾とロケット弾を投下し、昭和19年7月21日にグアム島に上陸しました。

3月以降関東軍を主体とした陸軍部隊の進駐が行われ、6月末には日本軍の兵員数は2万6000名に達しましたが、殆どが戦死されました。

昭和19年8月11日 14時35分、小畑軍司令官が叉木山で自決。

日本軍の組織的戦闘は終わりました(昭和20年8月15日 日本ポツダム宣言受諾。終戦。)。
私の叔父もグアム島で戦死されたと聞いてましたが、叔母が現在89歳と高齢ですが聞いたところ昭和19年1月21日にグアム島のさらに南方にて戦死された事が分かりました。

なぜか今回グアム島に行ったら、叔父の遺影とお線香を持参し南の方角に手を合わせてきたいと思いました。

日本守備軍(小畑軍司令官)玉砕の地に日本人だけではなく、激戦に散ったアメリカ兵や多数の民間の人々の霊を慰めるため慰霊公苑(グアム平和慰霊公苑)が整備されました。

公苑内には慰霊塔及び納骨堂、平和祈りの家、そして日本軍の遺品の数々、日本軍の洞窟跡などがあり、国籍をこえて世界の恒久平和を祈念する場所となっています。

写真は慰霊と平和の願いを表す合掌を意匠したモニュメントです。

こちらに叔父の遺影と靖国神社から頂いたお札(叔母が遺族会に入っているので御霊を祀ったものがいただけます)を置き、お線香をたむけ、叔父及び戦死者の方に手を合わせてご冥福をお祈りすることが出来ました。

日本に帰り叔母の分もお祈りしてきたよと報告し、写真を見せると涙を流してました。
戦後68年も経ちともすれば強気な考えや発言をしがちですが、戦争の惨劇を二度と繰り返してはならないです。

グアムの帰り日本には午前中に着き、靖国神社に初めて参拝に行きました。

時代とともに忘れ去られていく戦争の記憶を後世に伝える為、多くの文献や写真・旗・戦闘機等が展示されておりました。

戦争の悲惨さを実感し平和の尊さを再確認しました。
専務取締役 峯岸でした(^-^)/